ADHDについて

数年前からチラホラ聞くようになった
ADHD」という言葉



私がADHDをはじめて知ったのは、
YouTubeのおすすめ動画に偶然出てきた


ADHDの人の日常」
という動画だった




これを見た時
(あれ?これもしかして私なんじゃないの!?)
と思い始めたのが去年の夏頃



その頃の私は、もう3年程勤めている
スーパーのアルバイトをしているのに


未だにレジ操作を間違える
テンパってカードを返し忘れる


これはあるあるだったし


レジの清算
(お金をまとめて入金機に持っていく作業)
を毎回間違える



しかも同じ箇所で間違えるというより
毎回新しいミスをするので、
自分でも、何をやっているのか分からない



お客様から預かった商品券を
どこかへ無くしてしまい
防犯カメラで確認しても見つからず



数ヶ月後、
レジ横の隙間から出てきて・・・
という事案もあった




品出しでは
「これをココね」と
商品をどこの棚に移動させるのか指示されても
何をどう持っていくのか、こんがらがる感じ



指示を3つくらい次々出されると
パニックになって「???」



とにかく、毎日の仕事を
ミスなく終わらせるのに大変だ



アルバイトでこんなに大変なんじゃ
私には正社員なんか絶対ムリ・・・!



そう思っているが


親からは、
早く正社員になって自立するように促される



そんな時ADHDという発達障害を知って


もしかして、私はこれなんじゃないか?と疑った時
少し、気が楽になる感じがした



もし、ADHDと診断を受けたら
周囲に特徴を理解をされながら
自分のペースでの働き方を考えていけるかもしれない・・・




そう感じて
家族や友人に相談してみるも


ADHDの人は多分、もっと酷いよ」
「ミスは誰にでもあるから」


そう言われたら、確かに


【仕事では困るけど
日常生活が送れないくらい困難ではないな】



家事は平行してやれるし

ちゃんとメモをみたら、仕事も出来てるし・・・




私はADHDじゃないかもしれない
病名に甘えるのはよくないかもしれない




そう判断して
結局、病院に受診する事もなく
なんとなく1年間が過ぎてしまった




だがしかし、やっぱ私
ADHDかもしれない。



改めて、
そう考え直すようになったきっかけは
1人で出掛けた東京旅行だった






方向音痴で、地図が読めない


「駅から徒歩3分」のホテルへ着くのに
30分間ウロウロ迷った



最終的にはホテルの人へ電話して、
道案内して貰ったが
もうクタクタ



しかも翌朝
ホテルに鍵を返し忘れたままチェックアウトしたので
ホテルから電話がきて「ゴメンなさい(汗」



(普通にしてるのに、
なんで、こうも抜けているんだろう・・・)



よく考えたら、
昔からこんな事ばかりだったなぁ
と気づく




行きたい観光地へも
何度も迷ってウロウロ・・・



しかも、


道に迷って、行き順を教えて貰っても
言われた内容を聞く事で精一杯で
いざ歩き出した時には説明忘れてる


(3歩歩けば忘れるニワトリかよ)




待ち合わせの際、
なるべく余裕を持って行動しようとすれば


いつも早く着きすぎるか
途中のアクシデントで遅刻してしまうし



電車の乗り換えを間違えたり
降りるべき駅を通り過ぎてしまったり
電車の時刻間違えて乗り遅れたりする



駅の乗り換えするにも


乗り換えメモを書いておくか
スマホの乗り換えアプリで
何回も確認しないとすぐ忘れる


※確認をしても時々間違える




あと、
車の運転が出来ない



車の操作は出来ても
周りの車の流れを読むことができない。



ちゃんと集中してるんだけど
景色みてたらフーっと考え事に耽る


結果、前の車が停車しようとしてるのを見逃してぶつかりそうになったり



周りに「危ない!!!」と止められ
言われるがままにブレーキを踏むパターンが多いが



何が危なかったのか
自分ではいつも理由が分からない
(考え事してたから)




実際問題
ADHDの人は自動車事故率高いんだそう




よく人の話を勘違いする
というのもある



最近はもう無いが
人の声が聞こえなくなるっていう事が
子供の頃はよくあった



周りがガヤガヤしていると
相手が口パクで、
なに言ったか聞き取れずに「??」



何回も聞き返すの申し訳ない気持ちから
分かってなくても
「うんうん」と合図を打つ癖がついている




このせいで、
職場での指示にも「はい」と答えるが
決して話を理解した訳ではない



「理解しています」の「はい」ではなく、
「話を聞いています」という合図の返事



なので、指示が終わった後
具体的に何をすればいいのか分からず


「なにをすれば良いでしょうか(?)」
「さっき言っただろ!」



イライラされてしまうので


(多分こんな事言ってたかな?)
と思い作業をすると間違える



指示された内容の意味が
分からない事もよくある。



「この棚をあっち向きにして」
とか言われても「???」


私は空間認識が苦手らしい。
テトリスみたいなのとかめっちゃ苦手




さらには
やらなければいけない事にスイッチが入らない


例えば、
10分で書ける書類をすぐに書けずに、
期限ギリギリまで持ち越したり


住所、名前、印鑑


これだけが書けずに
何日も停滞してしまったりする



ADHDの症状として
立派に「先延ばし」があるらしく



「やろうとしているのに
それが難しい」




好きな事には、
集中しているとご飯も食べ忘れる



私はこうしてブログを書いたりしていると


楽しさで、ご飯を食べる事を後回しにしてでも
一日中部屋に籠って没頭してしまう事がある



ブログ書いてる時は
時間過ぎるの早すぎる



好きな事には、半日でも没頭できるのが
ADHDの特徴にあるそうだ




睡眠時間が異様に長いか、
極端に短いかの日がある



ADHDには「睡眠障害
を持っている人も多いらしい


私の中学時代は「寝過ぎ」だった




学校から帰るとすぐ布団に入って、
翌朝まで眠り込む事もあったのに
何時間眠っても、いつも眠気はとれなかった



日中も「早く家に帰って眠りたい」
ばかり考えていて

時々耐え切れずに保健室に行って1時間ほどベッドで休ませてもらう事も多々あった




大人になると「眠れない」事のほうが多くなり、
ここ数年、不眠症を疑う事がよくある


夜中眠れず、3時間程の睡眠になったり、
休日は、朝方まで起きていて
昼過ぎ~夕方頃に目が覚める昼夜逆転生活になりがち




身体が疲れやすく、人混みが苦手


大阪など街中へショッピングに出ると
色々な情報が目に入ってきて
人の声がガヤガヤしてて、歩くだけで疲れてしまう



ドン・キホーテヴィレッジヴァンガード等の、狭くてごちゃごちゃした店内にいると気分が悪くなってくる事がある




ADHDの症状は、
子供時代から特徴があるそうだが




私の子供時代はを思い返してみたら
落ち着きがない、そそっかしい
忘れ物の常習犯だった



机の奥もプリントが溜まってぐちゃぐちゃになっていたし、配られたプリントもちゃんと母に渡せてなかったり


部屋も汚かった


(今は、こんまりさんの人生がときめく片付けの魔法を読んで、所持品自体が減ったので、そんなに汚くなってないが)



電車の切符を頻繁に無くして、もう一度料金を払い直しする事も、よくある





今度、
正式に診察を受けに病院にかかりたいと思っている


そこでADHDの診断が正式に下りたら


もっと、自分に出来る事をハッキリさせて
生きやすく、生きていきたいと思う

引きこもりになるまで

ひきこもる人の裏には
強い「怒り」が隠されているんじゃないかと
ふと思った


ひきこもりの原因は人それぞれで
1つきりではないのだと思うのだが


「怒り」
親に対して、世間に対して

これを上手く表現出来ずに、
マグマの噴火を抑えるようにして
自分自身の感情を、
閉じ込めてしまっているんじゃないかと思う



.*・゚ .゚・*.


私は転職活動をした末に
全くの未経験で介護業界に飛び込んだ



知識も経験も何もないまま、
お年寄りの身体介助を身振り手振りで、
現場で教わる


私が入ったのは
スタッフが少人数のグループホームだった為


まだ何も分かず、全く不慣れな状態だが
即戦力になるようにシフトを組み込まれた



これはどこの施設でも起こりうる事らしい。
介護業界は、慢性的な人手不足に悩まされている



他人の入れ歯を触って洗う事、
オムツ替えをする事


介護の仕事自体が、はじめてだったので
多少の抵抗もあり、この仕事を出来るのか
不安だったが


何よりも一番苦痛だったのは
利用者さんへ向かって、
怒鳴りながら指示をするような社員


その社員がいると現場はピリピリとして、
冷たい空気だ
スタッフの顔が、疲弊している


そこに入居している利用者さんは、
とても良くしてくれたし
楽しいと感じる瞬間もあったが


「この職場で、介護の仕事が楽しくなくなったの。もう辞めたい」
良くして下さったパートさんの
ボヤきを聞くと


私は他の施設は知らないが
この場所にいても、得られるものや
明るく働ける未来は無いんじゃないか…と
感じて


私は早々に、
その職場を辞退した



その後、改めて
未経験での介護の仕事は難しいと感じて


「初任者研修」の資格を取得する為に
民間のスクールに通う事になる


僅かだが、現場をかじった身としては
授業は楽しいし
(そうだったのか)と新しい発見もある



ただ、
クラスのメンバーは主に40代くらいの主婦さんや
もしくは50代、60代。
親の介護の為に勉強しにきました、という方々で
なんとなく
20代の私では、教室に馴染み辛い感じがした



私は朝起きるのが苦手なので
なんとか体を叩き起して、
嫌々とスクールに通う


でもまぁ、資格さえ取っておけば
後からでもいくらでも働けるだろうと思い


介護の仕事をするかは、まだ分からないが
ひとまず、スクールに通う事にしていた



ここまでは、一応
ストーリーは順調に進んでいたのだが




ある日、こんな私の様子を見て
父が機嫌を悪くした


「アイツは携帯代も払わないで
いつもフラフラしやがって」
と文句をボヤキはじめた


その前日、
私が遊びに行っていたのが
気に食わなかったらしい


働いてもいない身分で
よく呑気に遊んでるな、というクレームだ



いい歳をした娘が転職活動に失敗して
ふらふらしてるように見えたのだろう


私もなかなか、動きがスローペースで
お尻に火がつかないと、
本格的に動き出せる性格じゃない為


まったりと
転職活動をしていた



その様子への鬱憤と、
父自身の、仕事への不満。

それから、娘を早く働かせて
一刻も早く家計に金を入れてくれ
というくらい、厳しい我が家の経済状況に

父親は苛立ちを顕にすると


「お前の育て方が甘いからじゃないか」と
何度も、母へ怒鳴り付けている


尋常ではない怒り方で
私への文句を垂れ流す父


家の中の物を投げる、
乱雑に扱う


とにかく、
怒鳴り声がリビングでずっと響いた


父は、こうして
ちょっとでも気に食わない事があると
すぐに大声を上げる


幼少期、
転んで怪我をして「痛い」と泣くと


「そのくらいで泣くな、
オレはもっと痛い怪我してる」と
自分の怪我自慢をするような人だった


「辛い」や「痛い」を
全然、分かってくれない


歯を食いしばって努力する事を、
他人にも強要する人だ




転職活動の失敗。
スクールで馴染めない違和感を感じながら


(ちょっと生きづらい。社会に出るのが辛いな。)
と感じていたので


更に、
「あいつはいつまでもふらふらしやがって」
の言葉に、自尊心は崩れ落ちた


これから社会に出て働く事、
仕事をする事を


絶対に働かないと、生きていけない


そう考えた時
徹底的に自信を無くしてしまったのだ



「生きていけないかもしれない」

この日、
「死にたい」というより
「生きていけない」という風に感じた



この先の長い人生
働いて生きていく事に、
漠然とした不安を感じたのだ…





以前は、在宅で
自分の才能を活かした仕事をしたいと思い


ハンドメイド作家や
フリーライターを目指したり、
Webデザイナーを夢みた時期があった


しかし、気付いてしまったのだ
自分で思う程、
私にはなんの才能もないことに。


ポンコツ」だった。



社会に出て働いても、
何年もいる職場でミスが絶えなかったり
「使えないな…」と感じる機会はたくさんあったが



だからと言って、
自分の才能で生活費を稼げる能力も
今の私には、無いんだと痛感した



「生き方が分からない」
「社会に出て、
またポンコツのまま働かないといけないのか…」




父の怒鳴り声を聞くうちに、
なんとなく、全ての気力を失った






.*・゚ .゚・*.





父が吠えた、翌朝


私は鬱陶しい身体を叩き起して
嫌々ながらも、スクールへ足を向けた



満員電車にギュウギュウ詰めにされている途中
なんとなく、
腹の底から「殺意」が沸いてきた



(なんであんな怒り方したの)
(なんで、私も頑張ってる事を分かってくれないの)


父親へ対する怒りを
本人にはぶつける事が出来なかったので



代わりに満員電車でイライラして
全くの関係ない、乗客のサラリーマンに
怒りをぶつけそうになったのだ



ヒステリックになって
電車の中で喚き散らすのを
精一杯、自分を抑えながら無表情で黙り込む



その日1日の授業は
全く、頭に入ってこなかった



父親への「怒り」と
将来への「不安」



授業、ノートにびっしり
「死にたい」という文字を書き出した



休憩時間も、
「死にたい」「働きたくない」と
Google検索をしていた




帰り道はその日
土砂降りの雨で


私は頭痛を感じて
電車の優先座席に腰掛けたのだが


近くにいたオバサンから
「信じられない…」「まだ若いのに」
「この席、なんの席か分かってんの」


後ろでブツブツ呟かれたが


例え私が席を立っても、
どうせまた別の若者が座るだけになる


知らないふりをして、
眠りについた



滝のように打ち付ける雨を
窓の外にみながら


(もう、辛いなぁ)と
本日、何度目かの「死にたい」
気持ちを痛感した






.*・゚ .゚・*.




翌朝。
外に出るのが怖くなった



「休みます」の
電話一本出来ずに、スクールの無断欠席


(よくないな)
と思いながらも
電話するのが怖い


この日を境に私は
布団に引きこもるようになる


外に出るのが怖い。



満員電車の中で、
次こそ暴れてヒステリック起こしたらどうしようとか


人のいる場所に行くのが
なんとなく怖くなったのだ



ご飯を食べる気持ちまで
すっかり失せた



やらなければいけないことを放棄して
それでも、自分は美味しくご飯を食べるだなんて
そんな事してはいけないと思い


セルフネグレクト状態だ



しかし腹は減るので、
とりあえず食べる


いつもの半分の量で
お腹は苦しい



なぜ私はこうなったんだろう?
無気力の中、考える。



そもそも
引き篭り」といえば



「無気力」「外への恐怖心」
「怯えているような気持ち」
なのだと私は思っていたが


よくよく考えてみると


私の胸の奥には
強い「怒り」があった


(あれ?私、怒っているの?)
少し、びっくりした



引きこもりになる原因は
もっと臆病な気持ちのイメージだったが


私はめちゃくちゃ「怒っていた」



父親に対して、
「怒っている」のだ


「反抗的」になっているのだと
やっと気付いた



(私がこんなに、
外に出れなくなるくらい
ダメージ受けてるのお前のせいだからな!)
みたいな気持ちだと思う



静かな「抵抗」であり「逆襲」なのだ




この怒りを、本人にはぶつけられずに
満員電車の中でヒステリック起こしそうになった時、それを堪えて



自分の中の「怒り」が爆発しないように
内側に、内側に秘めているような感じがした



「引きこもり」と「怒り」には
密接な関係があるんじゃないかと感じた私は



早速インターネットで
「引きこもり」「怒り」と検索をすると



引きこもり家庭の子供は
親への怒りを感じているパターンが多いらしい



そういえば、聞いた話だが
もう10年も引き篭っているという男性



引き篭るようになったきっかけは
親が部落の女性との結婚の反対をして、
好きな人と結婚させて貰えなかった
という事がきっかけだったそうだ




いま引きこもりの状態にある人は



胸の内に
どうしようもない「怒り」を秘めているんじゃないかと私は感じている




自分ではいつか暴れ出しそうな怒りの感情を
必死に自分の中に押し込めて


何もしないよう、何も起こさないように
意識を逸らして、爆発しないように
堪えているんじゃないだろうか?




そもそも「優しい人」が
そうなるんだと思う



外や他人に、
思いっきり怒りをぶつけられずに
自分の中に、抑え込んでしまう




では、引きこもりの改善策として




この「怒り」を発散させる事で
せめて、胸の奥の「怒り」を自覚する事で



ちょっとでも、なにか
前向きになれるんじゃないか?と私は考えた




長年引きこもっていた人間が
突然、残虐な殺人を起こしてしまった
という事件も過去にはあるが



あれは


ぶつけようのない怒りが
何かのきっかけで世間に向いて
爆発してしまった
最悪のパターンに思う




そんな事件が起きる前に


この「怒り」を
何処かへぶつけて、発散出来たら
悲しい事件も少しは減らせるんじゃないかな…と





自分が引きこもりを体験してみて、やっと
「人はなぜ引きこもりになるのか」
について、共感出来たような気がする

いま現在の日常生活

外に出られなくなった


ちょっと近くのコンビニに、
買い物に行くくらいも出来なくなったのだ


アイスが食べたいと思っているのに
人目が怖くて外出できない


メイクももう、しばらくしていない


洋服は、一番地味な
ポロシャツやTシャツを着るようになった



電話一本かけるのも
めちゃくちゃ怖い


まさか、
自分がこんなふうになるとは思っていなかった



日曜には、知り合いの開催するイベントが
あるらしい


それなら、行けるんじゃないか?
つまんなかったら、帰ってくればいいじゃん


そう思ってみても
どうにも、一歩外に出る事が恐ろしいのだ


楽しいはずのイベントに
足を向ける事も恐ろしくなってしまった



早く社会人生活を取り戻さなければいけないのにと気が焦るが


今回の症状は、
ちょっと手こずりそうだ



寝たきりの数日間を過ごしたが
今日はちょっと元気だったので


ベランダに出て
ぼんやり夏の空を見上げた
梅雨明けの、青い空


(綺麗だなぁ)
久しぶりに、青い空をみた


しばらく空を見上げていると
飛行機が、やけに低い位置を飛んでいる


(もしかしてあれ、墜落するんじゃないか…)

そんな恐怖心に見舞われて、
慌てて室内に戻ってくる
心臓がバクバクする


勿論、
墜落はしていないし
ただちょっと低く飛んでいただけ


だけど飛行機をみて
あんなに恐ろしいと、生命の危機まで
感じた私に


(今の私は、やっぱり
ちょっといつもと違う)
と感覚の違いを感じている



インターホンが鳴って、
郵便物を受け取った


久しぶりに玄関を出て、
動悸がする



これじゃあ
病院に行くにも一苦労しそうだな(苦笑)



ただ、今の私は
「外には出れない」が
「家の中で動く事」はできる



出来ない事より
出来る事に目を向けて
余裕すぎるくらい、
低いハードルから越えるように考えてみた


という訳で
皿洗いと、洗濯をやってみる


これなら、
当たり前にできる。平気だ



料理も、
食材さえ用意があれば作れそうだ



夜、抗不安剤を飲んでみた


これを飲んだら、
随分気持ちが明るくなって
思考もスッキリした



少々、周りより後れを取ってしまったが
来週からまた、ちょっと頑張れそうな気がしている



薬を飲むだけで、
こんなに症状が改善する

やっぱり「鬱」とは
脳や神経の病なんだな…と実感した



恐らくこの鬱は一時的なもので
ゆっくり療養すれば
また明るく、
外にも出られるようになると思っている



そのうち、
温泉や水族館に行きたい



今はできれば
1人静かにぐっすり眠れるように
ビジネスホテルに引き篭ってグダグダしたいが(笑)



そこに行くのも、
まず外出が必要である(笑)




ただ有難い事に
私はご飯は美味しく食べられているので



ゆっくりカフェオレを飲んでみると
久々に気持ちが解れて
「おいしいなぁ〜」と
心底感じた

推しに出会った頃の話

当時の、

私の生活スタイルだが


通信制の高校に通っていたので

普段は、特にやることも無い

 

授業は月に2、3回だったので

ほとんど毎日、自宅学習ということになるのだが


みんなが授業を受けている日中、

自分は布団の中でゴロゴロしててもいいのかと


罪悪感は感じながらも、

自力で勉強する程モチベーションは高くない


勉強したところで、

行きたい大学もなかったし、

やりたいこともなかった


レポートさえ提出すれば

学校は卒業できるというので



目標もないまま、

時間をただ消費していたと思う


 その割りに、ずっと気持ちは焦っていて

一般の高校生は授業を受けているのだから


何か有意義に過ごさねばと思いながら

何をしていいのか分からない毎日だった


ちなみに通信に通っている友達は

バイトで稼いで好きなことに

お金と時間を使っていたが


当時の私は、バイトするのが恐怖で

働けるのかと怖くて踏み出せなかったし


バイトするくらいなら

お金なんて貰わなくていいから、

家にいたいと思っていた



そんなこんなで、ほとんど

日中は、ゲームをして過ごしていた(笑)


 

布団の中にいても

余計な事を考えそうだったので


頭文字Dのゲームを、

ちょっとやり込んでみようと

PS2のゲームを始めたのがはじまりだった

 

私は当時の、庄司慎吾が推しだったので

EG6を使用して、妙義ばかり走っていた


しかしなかなか強敵に勝てない事が続いて

(ちょっと、車を変えてみようかな…)と


ずっとEG6を操作していたので

FR車はどうしても使い慣れない


ビジュアル的には

「FC、FD、S15」辺りが好きなのだが


悩んだ結果

(お?インテグラってカッコよくない?)

私が目を付けたのは、インテグラだった


 

「スマイリー酒井」


(うわぁ…変なキャラだよ…

なんかそばかすの、全然イケメンじゃないな)


率直な感想は、

こんな感じだったと思う


私の目的は「インテグラ」であり

ドライバーのほうにはあんまり興味なかった(笑)


ただ、インテグラの操作感が

なんとなくマッチする感じがして

いい車だな、と凄く好きになったのと



酒井さんとバトルをしにいくと

インテグラ2台で走れるのが楽しかった


「スマイリー」という割に

中身は全然まともで、優しいキャラだ



(あれ?酒井さん優しいな)

そう気付いた頃には


推しが、

慎吾より酒井寄りになっていた


当時の心境が特に辛いものだった為

酒井の優しい台詞が身に染みるようで


プレーヤーを親身になって心配する姿や

明るく歓迎してくれる台詞



「よく来たな」「また来いよ」

「いつでもオレが付き合ってやるぜ」


こうやって、

優しく話を聞いてくれるお兄さんが

身近に居たら、ホッとしそう。


(酒井さんみたいな人が

近くにいてくれたらいいな〜)



こうして、いつからか

私の“理想の人像”になってしまった



好きになったきっかけは

これがはじまりだった

鬱の前兆 外に出られなくなるまで

家庭環境がきっかけで

高校に行かなくなった私が


母親に連れられて

はじめて心療内科を受診した時、

「うつ」と診断された事がある


その時の感覚では
毎日、確かに気分は憂鬱なんだけど

 

(私がちょっと、
症状をオーバーに言いすぎたかな?)


まさか、5分程の診察で
こんなにもあっさり
「うつ」と診断されるとは思わず…

 

その時はこう思った

 

もし、どんなに健康な人間が病院に行っても

 

「毎日辛くて、死にたいです」
この台詞を言えば、
うつ病」と診断されるんじゃないだろうか?

 

「とりあえず病名付けときました」
くらいのものだと解釈して

 

私は全く、
自分を「鬱」だと思っていなかった。

 

だけど、思い返してみると
当時の私は、

 

昼間も布団にこもりっぱなしで
外には、怖くて外出できずに
ほぼ布団の中で寝込んでいた

 

最近また
久々に「あの頃」と
同じ感覚を思い出している

 

 

 

.*・゚ .゚・*.

 


【鬱の前兆】
 


まずは朝、
起きられなくなった

 

夜はずっと寝付けずに、胃が痛い

 

そういえば前日には
菓子パン1個、寝る前に食べただけだったので
それで胃が痛いのか…と考える

 


食欲がなくて、
食べなくても大丈夫になった

 

その前も
夕飯にカレーを食べただけで
朝食や昼食も食べなかった

 

 
お風呂にゆっくり浸かるとか
就寝前はスマホを見ない、とか
色々試しても、寝付きは悪かった

 

眠れない時間は、ずっと考え事をしていて
考えても、どうにもならない事が
ぐるぐる、ぐるぐる頭をよぎる

 

気付いたら、窓の外から
チュンチュン聞こえ始めて
(あ、朝か)

 


やっと眠気が襲ってきて
意識を失うように、眠りについた後

 


3時間後、
アラームで目覚める

 

うわぁ…全然眠れなかった。

 


これから、顔を洗って
化粧して、
電車に乗って、人と挨拶をして…

 

そう考えると
 めんどくさい

 


なにか、
特別に嫌な出来事があった訳じゃないのに
外に出るのが怖い

 

出掛ける準備をしたり、
人と挨拶をする事が億劫だ

 


こんな朝の後
満員電車では、
ギュウギュウ詰めにされ

 

ヒステリック起こして、
自分は暴れ回ってしまうんじゃないかと
恐ろしくなりながら耐え忍ぶ

 
 
もう電車降りて、
ネットカフェでも行っちゃおうかと考える

 

それでも、なんとか自制心を保って
教室にたどり着くと

 
授業の内容など、
頭に入ってこずに

 

(死にたい…)
(死にたい…)

 

午前中の授業、
ずっと「死にたい」と考える

 

話の内容は、
全く入ってこない

 

5分間休憩になると
スマホを取り出して

 

「鬱 死にたい」
と検索をかけると

 

ひたすら、
うつ病の記事を読み漁る

 

(でも私…
鬱ってほど、辛い状況じゃないな…)


(学校にも来れてるし…)


(楽しい瞬間も、ちゃんとあるし…)

 

そう思って、
自分は鬱ではないと思う

 

しかし次の授業が始まっても
(死にたい…)

 


お昼時、
お弁当を食べたあとに


私の気分はやっと
前向きになっていく

 

(そうだ、今日は頑張ったから
帰りにケーキ買って帰ろう!)

 

こんな明るい気分になっており
クラスメイトからも
「すごく元気で、明るいですね」と褒められる

 

午前中、
ずっと「自殺」「死にたい」
を検索していた女なのに、だ

 


やっぱり私は
健康なんだと思う
鬱の人に失礼、だとか思う

 


やっと家に帰宅すると
明るい気持ちでご飯をたべて、テレビをみて

 

楽しい気持ちになる自分に
(ほら、やっぱり鬱じゃ無い)

 

 

そう思って翌朝起きたら
また、死にたくなっている

通信制高校に行くようになったきっかけ

高校一年生の、初夏

 

その夜、自室でゴロゴロ
スマホを見ていると

 

「そろそろこの部屋にもクーラーがいるな」と

いきなり私の部屋に入ってきた父が言った

 


当時、私の部屋にはクーラーがなくて
夏は暑かった

 

クーラー付けようか、
という気遣いを持ち掛けてきた父だが

 

その時、父は酔っ払っていて

酔っぱらうと話がくどくなるし


私は内心、自室に踏み込まれた事に
(鬱陶しいなぁ)と感じて


スマホの画面をみたまま

生返事で「んー」と返して無視すると

その反抗的な態度に、
ムカッとしたらしい

 


父は不機嫌になってリビングに戻っていくと
「生意気だ」「アイツは生意気だ」と
母親に愚痴り始める声が聞こえた

 


どこの家庭の父親も、年頃の娘には
こうして鬱陶しがられてしまう宿命なのでは…
と私は思うが

 

その日の父はアルコールが入っていたので

話題はだんだん、おかしな方向になっていって


何やら母親とケンカをはじめて

ヒートアップしているのが

ビングから聞こえていた


父は酒を飲むと、乱暴になる人だった。


普段は家族サービスも旺盛で

夏休みや冬休みには

旅行に連れて行ってくれたし


家族の仲が特別に悪かった

という訳では無い。


しかしお酒が絡むと

これまで様々な事件が起きてきて


警察に厄介になったり、


時には母親、私や弟にも

手を上げられることがあった 

 

(ああ…もうこれ、何回目だろう)
私は一人、幼少期の記憶を思い出す

 

 

.*・゚ .゚・*.

 

 

私の幼少期は、

なかなかにハードな環境で育ってきたと思う

 

夜中、

夫婦喧嘩の激しい罵りあいで

目が覚める

 

 

「私を殺そうとしてる」
そう言って、泣き喚く母と


「お母さんを殺さないで」

と泣くしかできなかった記憶

 

当時まだ、

小学校低学年くらいだったように思う

 

 

 父親が、職場の飲み会で

泥酔して帰ってきた日は


扇風機は破壊されたし、窓ガラスは割れたし、

引き出しの扉は外れるわ

もう大変だった


母親はもうこれまで

何度も離婚しようとしたらしいが


父は翌日になると

「もう二度とやらない」

「覚えていない、すまんかった」と平謝りして


それの繰り返しだった



いま考えれば「異常」だと思う

こんなのが「普通」だとはとても思えない



私は早く働いて、

もう父から離れて生活していきたいと強く思っていた

 


.*・゚ .゚・*.


 

父は暴れるだけ暴れて、そのうちに

ぽっくり眠ると、リビングは静まりかえり



父が寝て、静かになった後も

私は、幼少期から体験してきた記憶が

ずっと頭の中でリピートして

なかなか寝つけなかった

 

夜が明けると、朝がきて。

 

私にはいつも通りに高校生活が待っていたが

 

起きる気力も、体力も疲れ果てて

何もかもが、どうでも良くなった

 

元気にクラスメイトと顔を合わせに

学校に行くような気持ちにはとてもなれず

 

 

この日、1日学校を休んだことをきっかけに

その次の日も行けなくなって

一週間休んで…


とうとう私は、

学校へは行かなくなった

 

 

 


.*・゚ .゚・*.

 


通信制高校編入した

 


どっちみち、
私には普通の公立高校は
居心地悪かったんじゃないかと思っている

 

ほんとの所、
「家庭環境による心労」を言い訳にして
高校を辞めたかっただけなのかもしれない



高校がとても楽しかった訳ではない

(物凄く嫌だった訳でもないけど、

なんだか当時は気力がなかった)


父のせいにしておけば、
私は誰にも責められずに辞められる
そんな思いも含まれていたと思う

 


だけどその時は
学校へ行く事は考えられず
布団からも出ずに、毎晩泣くようになった

 

 昼間は両親がケンカしているし



夜になると

フラッシュバックするようになったのだ

幼少期見てきた、父親の暴力の場面が

 


もう昔の話を思い出しては

静かな夜、誰にももう怒鳴られていないのに
当時の出来事をありありと思い出して、
呼吸が引き攣る

 


「支えが欲しい」
こんな風に切願していた

 


誰か私に寄り添って
「あなたは悪くないよ」と
絶対的に、味方してくれる人が欲しかったんだと思う

 


現実世界では

「なんで高校辞めちゃうの!?
勿体ないよ、がんばろうよ!」

という友人や親戚の言葉が

 


どうしても、
私を責めているようにしか聞こえなくなった

 


学校とか、どうとかじゃなくて
「辛かったね」
と私の気持ちに寄り添ってくれる人が欲しかった

 

スクールカウンセラーにも家庭のことを

相談したが、イマイチ。
優しい先生だったけど、私は心を開けずにいた

 

 

 つづく

中学生時代 黒歴史の片想い

私の職場は、
近所のスーパーマーケットだ


そこで、学生時代に長らく片想いしていた人が
買い物しているのを見た


幸いその日は休日で、
自分の職場の前を通り掛かっていたのだが


(…あ)


買い物カゴを持ってる、

数年経っても、変わらぬ風貌に
一目で「彼だ」と分かり


一瞬、立ち止まりそうになるくらい
時間がスローに感じた




.*・゚ .゚・*.




中学1年生

最初は全然好きなタイプじゃなかった

顔もタイプじゃないし、
私はもっとスポーツマンタイプの
明るくて面白い人が好きだったのに


彼は
色白で、眼鏡をかけていて
綺麗な黒髪の、インドア系の男子だった


だけどたまたま、
名前順で席が近くて
話してみると面白かったのと
(私も彼も、オタク系だった)


私は当時、
ちょっと調子に乗って立候補した
委員会活動に目いっぱい打ち込んでいたのだが


真面目にクラスをまとめようとしても
声を聞いて貰えなかったり

「うるせぇ!真面目ぶりやがって!」

という風に、特に男子から、
煙たがられていたのだが…(苦笑)


彼も真面目な性格だったので
委員会活動には全く関係ないのに

隣で一緒に手伝ってくれたり、
男子を黙らせるように、声を掛けてくれた


それがきっかけで、
気付いた頃には惚れていた


だが
恋心を自覚してしまうと
距離感をどう取っていいか分からなくなった



いつも通りに、
友達のように話せなくなってしまったし


緊張で、
訳分からん事話したり

「嫌われないように」
一生懸命立ち振る舞って


そのうち、
話しかけて貰えなくなったので
「仲のいいクラスメイト」
でもなくなってしまった




ある日彼に、
「ごめん、
ちょっと10円足りないから貸して」
と言われた事がある


パン代の10円が足りなかったらしい


たった1枚、貸したコイン
ほんとは、10円なんかどうでも良くて
返って来なくてもいいものだったのに


私は、なにか話す口実が
どうしても欲しくて



「ねぇこないだ貸した10円さ、
返してよ」

と後日しつこく、詰め寄った


かなりウザい女だったんじゃないかな…
と我ながら思う



1週間くらい彼を追っかけ回して
やっと返してもらった




他にも、
とにかく何か話すきっかけが欲しくて
シャーペンを貸してほしいとわざと頼んだ


彼は、
何気なく自分のシャーペンを貸してくれたが


好きな人のシャーペン握った瞬間
緊張してきて、嬉しくなってきて

(私の、変態気質は未だ変わらない)


手汗がヤバくて
返したシャーペンを握った彼から

「お前、手汗やば…」と呟かれた日を
もう10年くらい経った今でも覚えている




.*・゚ .゚・*.



部活中のお喋り
友達との通話
下校中の話題


全部が、彼の事だった。
毎日話しても、話し足りないくらい大好き



高熱を出して、学校を休んだ日には
布団の中で
西野カナ」を聴きながらずっと泣いた


あまりに寂しいので、
アルバム引っ張り出してきて
写真の中の笑顔を見ながらまた泣いた


そんなにイケメンじゃなかったのにな。
今考えたら結構ヤバいな…




さて、こんなに惚れ込んでいたので


バレンタインデーには勇気をだして
チョコを渡す事にした


「バレンタインの日は、
ちゃんと告白したいから!」と

友人にも
一緒にチョコ選び手伝ってもらって


2月14日の朝
いつもより30分くらい
早くに友達に集まってもらい


ショートカットの短い髪を
編み込みでアレンジして貰った


「うん、可愛い可愛い!よしいける!」
友人に励まされながら

早朝に登校してくる彼を待ち伏せ
ラッキーな事に、
朝の教室で2人きりになれたので

「はい、これ…貰ってよ!」

とかそんな感じで
チョコを差し出した



「え、お返しめんどくさいわ…要らない」


そう言われて、撃沈した

この時点で
「脈ナシ100%」じゃん、と思う



せっかくの、女の子の好意に
「めんどくさい」と言い切る男とは
付き合わなくて正解だったよ私!


そう思うものの…
やっぱり恋は盲目で



「お返しとかいいから貰ってほしい、
ねぇ!机の中入れとくからね!!!」



強引にチョコレートをゴリ押しした



多分私は
恋愛に関しては
恋は盲目、突進型過ぎて

イノシシばりにタックルしていって
どんどん逃げられるのだと思う(苦笑)




ホワイトデー。

「めんどくさい」と断言した彼は
その通り、お返しもなにも。無愛想だった





その後、春休みに入り




2年生になった

あっという間にクラスが変わって
私達は、別々のクラスになった


クラスが離れれば、
恋心は収まると思っていたのに


廊下ですれ違った時

合同授業で一緒になった時



一目会えるだけで、
嬉しすぎて死ぬかと思った



まさにハイテンションで
その日一日は、ずっと夢心地だ



推しが3次元にいるって
凄い




例えば
ドン・キホーテで買い物してて
彼の柔軟剤と同じ匂いがした時
(まさか!)と思ってキョロキョロする
いる訳がないのに。


「恋愛本」コーナーに入り浸って
恋人になった後の
自分と彼のデートについて妄想する



もう…あんな風な恋は
出来ないと思う(笑)




中学3年生になっても
まだ私の片想いは続いていた



だが
昔、仲が良かった頃より
ずっと距離感が空いてしまって


せっかく同じクラスになれたのに
あまり、積極的に話せなかった



(3年生になって
またシャーペンを貸してもらう機会があったので
手汗だけは気を付けようと思って
ペンを借りた)




クラスに、
私と同じ苗字の男子がいた


「夫婦、夫婦」と
からかわれて


彼から「結婚おめでとう!」とか
言われるの、悲しかったけど


そのうち私のあだ名が
「お母さん」になったため
もはや女でもない、
母親ポジションにされてしまった


好きな人から
「おかあさーん」と呼ばれる悲しみ


それでも私は
彼の肉親でも、なんでもいいから
傍に居られる人になりたかった


親戚、姉、家族


彼のプライベートに踏み込める人が
羨ましくて、嫉妬していた


実姉になれば
構わずセクハラできるのに…!と思って妄想



やっぱり私は
相当やばい女だ

彼は私を選ばなくて正解だったかもしれない…




卒業を控えた
エイプリルフールの日


このまま卒業では、私が納得できずに
もう一度、彼に告白する事にした


なぜエイプリルフールを選んだかと言えば


美術部の私と吹奏楽部の彼が
部活動の時間帯が重なるのはこの日だけだったのと

エイプリルフールだと
「ウソでした」の言い訳が出来ると思ったからだ



私は美術部だったので
メッセージカード手作りして

(メッセージカードが手作りというのも
彼にとって、恐怖だったかもしれない)


カードには

「今日はエイプリルフールの日ですが
私の気持ちに嘘はありません」

と書いた気がする



恥ずかしい…


私はそれを
彼の靴箱へ入れておいた

毎朝、彼の靴箱はチェックしているので
位置は覚えている



そう、
私は恋をしたら
「その人しか見えなくなる」


学生時代、


実は男子にいじめられていて
辛い暗黒時代を送っていた訳だが

それでも
毎日学校に通って脳内お花畑で過ごせたのは


絶対に、
彼が居たからだ

彼への異様な執着心のお陰で
私は学校へ行けていた


そういう意味では
心から感謝しているし、
あんなに好きな人を作れた私にもすごいと思う



話を戻すが
告白手紙を入れた翌日



部活動で
トロンボーンを吹いてる彼の元へ行って

「手紙読んでくれたかな…」
と聞いてみた


あの恥ずかしい手紙だが…



彼からの返答は
「あれ、Kの靴箱に入れといたから」

「えっ…」



※Kくんというのは
クラスのお調子者の丸坊主頭の男子だ
悪い子ではないのだが
全然、好きではないタイプ



Kくんの靴箱へ入れ直した
というのは冗談だと思うのだが

(冗談であってくれ)



完全に脈ナシすぎて
他の男子に宛てがわれたのがとても悲しかった



そこまで拒否されて
まだ、恋を諦められないのが「蠍座の女」



ここまできたら
「彼を振り向かす」事よりも


「卒業するまで、
いかに楽しい思い出を作れるか」
のほうに気が向いていった



卒業までに、ちょっとでも一緒に過ごしておきたくて



友達混じえて、
グループデートのボーリング企画を立てた



彼も誘ったが
嫌そうに「行かない」と断られてしまった



それでも当日、
場所と待ち合わせ時間は伝えておいたが
やっぱり彼は現れなかった


好きでもない男とボーリング
せっかくその日の為に用意した
勝負服が虚しかった



卒業後



彼に
「あの日、来て欲しかったなぁ〜」と
打ち明けた時


他の参加した男子メンバーへ
「お前らマジで行ったんだ」
と言ってて悲しくなった


こうなれば、
やけっぱちだ


最後のアプローチで
彼にメアドを聞いてみた。


「嫌だ、教えない」と
頑なに拒否されたが




私はもう、
やれる事、全部やってやろうと


財布に入っていたレシートの裏柄に
自分のアドレスを書いて


「じゃあ、気が向いたらメールしてね」
とそれを渡した



一応、
受け取ってはくれたが


その後、
ゴミ箱に破って捨てられる瞬間をみて
泣きそうになった



これでも
まだ諦めない私は
ゴキブリ並の生命力を発揮して


最終手段。

男友達に彼のメアド教えてもらう様に頼んだ
(もう諦めろよ)



苦労はあったが、やっとこさ
好きな人のメアドゲットした私は



「こんばんは!
○○にメアド教えてもらいました!
いきなりごめんね(><)

良かったら登録してください!」


みたいなメールを送ったはず




彼は私のメール受信して
きっとガクブルしただろう


想像通り
返信は来なくて…




私は鼻息荒く、有名な占い師の所へ押しかけ
相性診断を占ってもらったが


「男の子って、彼だけじゃないから」
そう励まされて


ようやくこの恋は諦めるべきなのだと気付いた

やれる事は
全部試してみてそれでもダメだった恋だから
納得出来たのだと思う





この後は1度だけ、街中で
高校のブレザーに身を包む彼を見掛けたが


私は話しかけられずに、何も言えなかった




そういえば後日、知ったのだが
彼がバレンタインのチョコレートを拒否したのは
「チョコが苦手」だったらしい


なんだそんなこと、
今更知っても意味が無いのに





こうして
時間と共に
なんとなく恋心は消えていって



長い長い、
狂気じみた
ストーカー片想いは


虚しく、幕を閉じたのだった




あの彼が、今でも元気にしていることを願う